俳句の庭/第66回 信濃の山 小澤 實

小澤 實
昭和31年、長野県生れ。平成12年「澤」創刊、主宰。平成10年、句集『立像』で第21回俳人協会新人賞。平成18年、句集『瞬間』で第57回讀賣文学賞詩歌俳句賞、平成19年、評論「俳句のはじまる場所」で第22回俳人協会評論賞、令和4年、『芭蕉の風景上・下』で第73回読売文学賞随筆・紀行賞。他に句集『澤』がある。現在、俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞俳壇選者。

 父が小学校の教員をしていて、幼い時、長野県の各地を何回か転勤した。長野市、伊那郡、木曽郡、松本市である。

 幼すぎて長野市のことはよく覚えていないが、伊那は田の中に教員住宅があって、稲作のしごとぶりを何年かくり返し見ることができた。そして、田を囲む山が近かった。

 木曽はさらに山の中で、小学校の夏休みの宿題に、薬草取りがあった。ゲンノショウコ、タカトウグサなどの薬草を乾燥重量三キロも取らなければならなかった。夏休みの間中まさに山の斜面にはいつくばって、薬草をむしりとった。たいへんだったが、自然に親しむ点から言えば、これ以上の経験はない。薬草は木曽の百草丸の会社が買い取って、その金で図書館の本を充実させると聞いていた。

 中学入学とともに松本に出ると、山は遠ざかったが、西の飛騨山脈の常念岳、東の美ヶ原の王ヶ鼻を、日々眺めるようになった。今でもこれらの山々を見ると、故郷に帰ってきたと、しみじみと静かな喜びを感じる。

 コロナ禍の間、対面句会の開催がかなわず、故郷長野に帰ることができなかった。この間は山を見ることができず、山に飢えるようだった。現在は幸せなことに、月一回信濃大町、松本の句会にうかがう生活にもどっている。登らないと満足できない方も多いだろうが、ぼくは見上げているだけで十分である。おのずと句も生まれてくる。

  帰るべき山霞みをり帰らむか 『立像』