今日の一句
- 四月十九日穀雨
教室に入る春愁の貌消して 樋笠 文 教室に入る時は、おもむろに呼吸を整えてからドアを開ける。子どもは、動物的な感覚で大人の愁いを嗅ぎわける。
「樋笠 文集」
自註現代俳句シリーズ四(四〇)
- 四月十八日
葺き足せる藁屋の継ぎ目梨の花 野崎ゆり香 まだ藁屋が何軒かあった。新しく葺き足したその継ぎ目があざやかで、山梨の花が添うように白かった。
「野崎ゆり香集」
自註現代俳句シリーズ六(六)
- 四月十七日
まくなぎの球体めざし暮遅し 仲村青彦 生れて間もない春のまくなぎは、水がまぶしいかのように、群になろうとしてはくずれ、なろうとしてくずれる。
仲村青彦 平成一一年作
- 四月十六日
雨にも負けず風にもまけず葱坊主 桜井青路 葱坊主のあの太い首。まさに雨にも風にも折れない力を持っている。関取の首のような力強さをも持っている。
「桜井青路集」
自註現代俳句シリーズ八(三二)
- 四月十五日
裏返すたびかがやける子猫かな 櫂未知子 十七年飼った猫が亡くなった直後、その猫の子猫時代を顧みて詠んだ句。はなはだ心が荒み、毎日毎日、涙を流し、八つ当たりしつつ過ごした。
櫂未知子
作句年2023年 「群青」『俳句年鑑』などに掲載
- 四月十四日
つぎの風まではらはらと山桜 染谷秀雄 時折吹く風が心地よい。止むことなく散るがそれも次の風までだ、風を得た途端どっと散る。はらはらどっと繰り返す桜。
染谷秀雄 『灌流』所収
- 四月十三日
どつと散りひらひらと散る桜かな 竹村良三 桜の散るさまを写生してみたが、この光景、とにかく飽きない。「散る」は「散り」か。
「竹村良三集」
自註現代俳句シリーズ一三(九)
- 四月十二日
花鯎とて金鱗に朱一線 福田蓼汀 桜の頃鯎は金鱗が輝き、朱の一線が現われる。千曲川の〈うけば〉で投網でとり焼いてその場で食べさせてくれた。新鮮な色彩を忘れない。
「福田蓼汀集」
自註現代俳句シリーズ一(一三)
- 四月十一日
落花舞ふ母を眠らせ父を眠らせ 橋本榮治 父母が床に就くとともに机の前に坐し、「馬醉木」の記念出版の資料を求め、明け方まで文書を開いた。窓の外では闇に浮ぶ桜が舞い始めていた。
「橋本榮治集」
自註現代俳句シリーズ一二(四〇)
- 四月十日
西行庵花の奈落に寂びにけり 渡辺恭子 逢いに来し奥千本の西行庵は、花の奈落にちんまりとあった。
「渡辺恭子集」
自註現代俳句シリーズ七(四三)
- 四月九日
神田川に灌ぐ小流れ花筏 毛塚静枝 小石川後楽園の細川は神田川にそそぐという。途中に柵があり、花筏がいっぱい集まっていた。
「毛塚静枝集」
自註現代俳句シリーズ一〇(一二)
- 四月八日
衣手を抑へ灌仏し給へり 仁尾正文 近郷の臨斉宗方広寺派本山方広寺は歳時記に載る法会をすべて行う。八十歳をとうに越した老管長が衣手を抑えて灌仏をされていた。
「仁尾正文集」
自註現代俳句シリーズ一〇(二六)
- 四月七日
泣かざりしこと得々と入学児 村上沙央 利かん坊だがよく泣きもする男の子。電話で入学式の様子を尋ねると、今日は泣かなかったと得意げな報告。
「村上沙央集」
自註現代俳句シリーズ一二(二〇)
- 四月六日
師にまゐらす句なり花衣恋衣 山口青邨 鎌倉虚子忌句会で作った。先生にお目にかける句だ、先生は色恋も何もかもわかった方、艶麗な句もお好きだ。そう思ってこんな句を作った。
「山口青邨集」
自註現代俳句シリーズ一(一二)
- 四月五日
宴盛ん満開の花仰がずに 里川水章 仕事帰りの社員たちの花見の宴。盃を傾けたり、歌声をはり上げるのに熱中。誰一人お花見などしていなかった。
「里川水章集」
自註現代俳句シリーズ八(一三)
- 四月四日清明
うち泣かむばかりに花のしだれけり 上田五千石 桜の花のしだれるのを「うち泣かむばかり」と表現されたところに、五千石先生の鋭い感覚が感じられる。女人のよよと泣き崩れるさまを彷彿させる。大木のしだれ桜が風に揺れる光景は、華やかな表面と裏側のはかなさを誰もが感ずるところである。(中田禮子)
脚註名句シリーズ二(一五)
- 四月三日
三鬼死す陽炎逃場失ひて 小林康治 四月一日葉山町で西東三鬼が死んだ。三日の葬儀の昼前は激しい雨だった。鎌倉と逗子の間の峡の火葬場で三鬼の骨を拾った。
「小林康治集」
自註現代俳句シリーズ二(一五)
- 四月二日
九十の母ゐて燕巣ごもれり 千田一路 母はちょうど九十歳。伊賀の「しぐれ忌」へ友情投句した句である。テーマ部門大賞の知らせを受けた。何万句の中からだという。恐縮。
「千田一路集」
自註現代俳句シリーズ九(一)
- 四月一日
黒猫に曲る角あり万愚節 岩永左保 猫にも行く先はある。ごもっとも。大きな黒猫がゆったりと角を曲った。今日は四月一日。
「岩永左保集」
自註現代俳句シリーズ一二(二八)
- 三月三十一日
アネモネや毒一匙を身の内に 德田千鶴子 アネモネはギリシア語で「風の娘」。揺れる赤紫色の花を見た時、その妖しさに惹かれた。実は私の心にも、気づかぬ毒があるかもしれぬ。
德田千鶴子 句集『花の翼』所載
- 三月三十日
鳥曇勤め辞せるも鞄提げ 畠山譲二 二十年間務めた会社を定年一年前で辞した。俳句一筋に生きようと心に決めたからである。清貧に甘んじての毎日だが、よかったと思っている。
「畠山譲二集」
自註現代俳句シリーズ五(四九)
- 三月二十九日
落椿踏み坊の津といふところ 清崎敏郎 薩摩半島の南端に坊の津という港がある。その昔、島津藩の目を盗んで、中国と密貿易が行われて栄えたというところ。
「清崎敏郎集」
自註現代俳句シリーズ一(三〇)
- 三月二十八日
太郎杉降らす花粉や地震あるな 青木重行 丹沢山の登り口にある杉の名は太郎杉という古い有名な神杉である。丁度この頃に起きた地震に向かって叫んだ言葉である。
「青木重行集」
自註現代俳句シリーズ九(三)
- 三月二十七日
仕上砥の芯の乾きや桃の花 山崎羅春 荒砥石は電動回転式、仕上げ砥だけは、昔ながらの手作業。桃の花の頃は砥石の乾きも早い。
「山崎羅春集」
自註現代俳句シリーズ一一(一)
- 三月二十六日
白妙の椿くもれる怒濤かな 白岩三郎 房総馬醉木会四周年記念で波太島吟行。海に向って立つ秋櫻子先生の句碑は、潮寂びもしるく周囲の景に相応しい。強い風に白椿が耐えていた。
「白岩三郎集」
自註現代俳句シリーズ六(三九)
- 三月二十五日
七賢の襖に遊ぶ竹の秋 遠藤梧逸 「短夜の覚めて三聖哄笑図」とともに高野山普賢院の襖絵。深く学んだとは言えないが、満州、北支に居たこともあって支那好きである。
「遠藤梧逸集」
自註現代俳句シリーズ二(五)
- 三月二十四日
春の山賽銭担ぎおろしけり 中村雅樹 伏見稲荷の山中で、賽銭を集めている人に出会った。ずっしりと布袋を所定の場所まで担ぎ降ろし、あとはネコ車に積んで麓まで運ぶ。
「中村雅樹集」
自註現代俳句シリーズ一三(二〇)
- 三月二十三日
霾や草城信子亡き大阪 山本つぼみ 桂信子さんのお別れの会に大坂へ。かつて訪ねた石橋の草城居も、豊中の小寺正三、桂信子、花谷和子諸先生のお宅も、この大阪駅に降り立って。
「山本つぼみ集」
自註現代俳句シリーズ一二(三)
- 三月二十二日
花に能演ずる笛と鼓かな 竹腰八柏 丹波篠山では春日神社で年二回能が演じられる。一つは花の頃、他は大晦日の夜である。花の下に演じられる能は格別である。
「竹腰八柏集」
自註現代俳句シリーズ五(二〇)
- 三月二十一日
春泥のかたまりの山登り行く 松尾隆信 神奈川県の丹沢山地。関東ローム層で包まれた山のガレ場や沢筋は赤い。ヤビツ峠から登る径も赤くてやわらかい。山全体が春泥のようであった。
「松尾隆信集」
自註現代俳句シリーズ一一(六二)