今日の一句
- 十月三十一日
- とり替へて菊人形の背すぢ立つ - 伊藤敬子 - 菊人形は衣を着せ替えられた。よれよれの衣を着せておくわけにはいかない。菊衣をとり替えたら、なんと背すじまでぴんと通った。 - 「伊藤敬子集」 
 自註現代俳句シリーズ五(五)
- 十月三十日
- 洗濯の妻も紅葉の明るさに - 栗原憲司 - 裏庭に紅葉の木があり、井戸がその近くにある。洗濯物の干し場はそこにあるので、紅葉の紅が映えるのである。 - 「栗原憲司集」 
 自註現代俳句シリーズ一三(三四)
- 十月二十九日
- 月光をのぼるものあり萩刈られ - 神蔵 器 - 子供が頂いて来た宮城野萩が、大きな株になり毎年見事な花をつける。萩が刈られてしまうと我が家の庭は冬に入る。 - 「神蔵 器集」 
 自註現代俳句シリーズ四(一九)
- 十月二十八日
- 一匙の栗金色に離乳食 - 都筑智子 - 粉ミルクより食物を喜ぶ。栗を牛乳で溶いて匙に乗せたら食べた。嫌になると首を振る。嫌な時に首を振るのを自然に知っているのは何故だろう。 - 「都筑智子集」 
 自註現代俳句シリーズ七(四五)
- 十月二十七日
- 烏瓜どの蔓となくみな躍る - 堀 磯路 - たくさんの烏瓜が真っ赤に色づいている。一本の蔓を引くと皆が小躍りした。日和がよくて機嫌のよい烏瓜である。 - 「堀 磯路集」 
 自註現代俳句シリーズ五(五二)
- 十月二十六日
- 行秋や鹿もするなる雨宿り - 京極杜藻 - 旧友等と奈良一泊、翌日番傘を列ねて境内を経めぐる。そぼ濡れた鹿たちの中に、大杉の幹の下に寄り添う幾組かを見て、行秋のうそ寒さを感じた。 - 「京極杜藻集」 
 自註現代俳句シリーズ三(一二)
- 十月二十五日
- おてのくぼ吹きつつ種を採りにけり - 土山紫牛 - 庭の草花が終って種を採っておこうと、その花をてのひらでほぐして、花びらや絮を吹いた。美しい種が掌のくぼに溜ったのを大切に紙に包んだ。 - 「土山紫牛集」 
 自註現代俳句シリーズ四(三四)
- 十月二十四日
- 木こり木の匂ひをひざにむかご飯 - 桜井青路 - 山肌に座って弁当をひらく。むかご飯である。今伐った檜の匂いが山の空気にひろがった。昔はわっぱの弁当だった。郷里に句碑となる。 - 「桜井青路集」 
 自註現代俳句シリーズ八(三二)
- 十月二十三日霜降
- 国戦ふ発矢々々と鵙高音 - 河野静雲 国を挙げて戦へ戦への時代、平和なるべき国と国との国交も破れ、その事を淋し悲しと思われてのこの一句である。「国戦ふ」の上五には師の戦への悲しみが織り込まれている。今日来て鳴く庭前の鵙の高啼き。発矢発矢のかさね措辞にある師の戦争無常観。
 「河野静雲集」 脚註名句シリーズ一(七)
- 十月二十二日
- 出て驚く燈が大粒に秋の暮 - 永田耕一郎 - 人家の燈が鮮明で、一つ一つが大粒にみえる。まだ空は明るい秋の暮である。 - 「永田耕一郎集」 
 自註現代俳句シリーズ五(四六)
- 十月二十一日
- 斑鳩は秋こそ寧し夢違へ - 加古宗也 - 平成十八年秋、奈良・斑鳩の里を吟行した折り法隆寺に立ち寄り、夢違観音をお参りした。悪い夢を見たとき祈ると良い夢に変えてくれるという。 - 加古宗也 句集『茅花流し』より 
- 十月二十日
- 蟷螂の顔の薄さよ城下町 - 松本旭集 - 川越は城下町。母校の川越高(旧川越中)に立ち寄る。応仁時代、心敬・宗祇等が城中で「川越千句」を巻いたのもここらあたりか。 - 「松本旭集集」 
 自註現代俳句シリーズ四(四六)
- 十月十九日
- 幽けくて遠くの紅葉まで日ざす - 佐野まもる - 嵯峨の早朝。「遠くの紅葉まで」が作者のもっとも注目する位置であった。 - 「佐野まもる集」 
 自註現代俳句シリーズ三(一六)
- 十月十八日
- 火山灰降りてひねもす案山子風の中 - 小原啄葉 - 女岳の噴出物は、浅間山噴火の数倍にも達した。田の案山子の頬被りにも、連日火山灰が降る。 - 「小原啄葉集」 
 自註現代俳句シリーズ四(一六)
- 十月十七日
- 鈍痛に似たり秋風のデモ行くは - 有働 亨 - 秋風の吹く大通りをデモの列が通る。様々な要求を掲げているが、私には「社会の鈍痛」みたいなものを感ずる。秋風の中、デモは私の前を通る。 - 「有働 亨集」 
 自註現代俳句シリーズ四(一二)
- 十月十六日
- 白き帆の一点となる秋思かな - 江口井子 - 霞ヶ浦の帆曳舟はすっかり廃れてしまったが、秋天の下、遠景となってゆく白帆には思いが残った。 - 「江口井子集」 
 自註現代俳句シリーズ一一(二八)
- 十月十五日
- 文才を自負の腕組み天高し - 山川安人 - 何かそんな真似の一つもやりたくて。 - 「山川安人集」 
 自註現代俳句シリーズ一一(二七)
- 十月十四日
- 鵙高音陽は暖流をのぼりたる - 大岳水一路 - 都井岬へは日豊本線を南宮崎駅で降り、日南線に乗りかえる。めざす菜穀火鍛錬会の途次、心もまた暖流をのぼる陽のように昂っていた。 - 「大岳水一路集」 
 自註現代俳句シリーズ六(四四)
- 十月十三日
- 犀川を雲を見飽かず秋の暮 - 米谷静二 - 金沢は父の生地、とくに近い親戚は残っていないが、なつかしい。犀川を、雲を、と区切りながら呼びかけているようである。 - 「米谷静二集」 
 自註現代俳句シリーズ五(二九)
- 十月十二日
- 美しき天平仏へ鵙の声 - 中村姫路 - 興福寺の阿修羅像や仏頭、秋篠寺の伎芸天などは天平仏の代表格であろう。端正で気品溢れる顔をしている。 - 「中村姫路集」 
 自註現代俳句シリーズ一二(四三)
- 十月十一日
- 青みかん青の領域黄の領域 - 後藤比奈夫 - 会の席上青蜜柑が配られた。青みかんとしか言いようのないものであったが、どこかに黄色が生れかかっていた。青と黄の領域争いを見たと思った。 - 「後藤比奈夫集」 
 自註現代俳句シリーズ一(一八)
- 十月十日
- さきをゆく人かき消えし葛月夜 - 佐野美智 - 壁の一個所からするっと異次元の世界へ吸い込まれるSF映画があった。あまりに澄んだ月光のなせるわざか。 - 「佐野美智集」 
 自註現代俳句シリーズ四(二四)
- 十月九日
- 長き夜のゆあーんゆよーん中也詩集角谷昌子 中原中也の詩「サーカス」(『山羊の歌』所収)には、「ゆあーん ゆよーん」が繰り返され、空中ブランコのイメージが広がる。やがて揺れながら、夜長の闇に誘われてゆく。 
 角谷昌子 「磁石」2024
- 十月八日寒露
- 秋冷や珠洲焼に濃き波状紋 - 千田一路 - 珠洲焼は平安から室町期まで続いていた六古窯に並ぶ中世の寂陶。「黒陶の美」とも形容される。井上雪さんが『波状』の一句として評された。 - 「千田一路集」 
 自註現代俳句シリーズ九(一)
- 十月七日
- 不覚にも籾殻山が火を見せて - 髙崎武義 - 籾殻は、保温、被覆用として使われるが、焼いて灰を採ることが多い。燃やさないでいぶすのである。越前平野は米どころ。 - 「髙崎武義集」 
 自註現代俳句シリーズ七(四四)
- 十月六日
- 六階に住みかばかりの障子貼る - 向笠和子 - 形ばかりの煤掃きをするが全く「かばかり」の障子である。不器用な私にはなかなかはかどらない。 - 「向笠和子集」 
 自註現代俳句シリーズ五(六〇)
- 十月五日
- 穴にまだ入らず権現さまの蛇 - 山仲英子 - 十月五日・箱根での吟行会。会場は山のホテル。狩行先生の誕生日に当たり、幹事さんから、花束が。慶事にふさわしい秋晴。 - 「山仲英子集」 
 自註現代俳句シリーズ八(二四)
- 十月四日
- 鵙高音をんなのつくすまことかな - 鈴木真砂女 同じ年の作に〈裏切るか裏切らるるか鵙高音〉。誰にとっても恋は真剣勝負だ。あわれなほど一途にまことを尽くす。鋭く裂くような鵙の高音は恋する女の叫びのようである。この女のまことを心から受け入れてくれる男はどれだけいるだろう。(瓔子)
 「鈴木真砂女集」 脚註名句シリーズ二(四)
- 十月三日
- 新米をたまはる蔵の鍵開けて - 福島せいぎ - 「なると」同人会長上田健三さんのお宅は旧家である。古い蔵を開けて、米や芋など気前よくくださった。丹精を込めて作った菊も見事であった。 - 「福島せいぎ集」 
 自註現代俳句シリーズ一三(一二)
- 十月二日
- わさび秋冷いのちの水の荒々し - 河合未光 - 中伊豆山葵田。水をいのちとして育つ山葵、秋冷の迫ると云うに、何と荒々しいそのいのちの水勢だろう。 - 「河合未光集」 
 自註現代俳句シリーズ七(三八)














