今日の一句
- 十一月二十一日
波郷忌へ陶の光の柿を剝く 渡邊千枝子 柿には香りがないという私に波郷先生は「陶器のような肌ざわりがある」といわれた。その言葉が頭を放れず、今では柿が好きになってしまった。
「渡邊千枝子集」
自註現代俳句シリーズ八(三)
- 十一月二十日
妻来たる一泊二日石蕗の花 小川軽舟 会社勤めで単身赴任を始めた頃の一句。子供の世話のかたわら、妻が旅行鞄を提げて訪ねて来た。私にとってはなつかしい一コマである。
小川軽舟 句集『朝晩』 二〇一二年作
- 十一月十九日
小春凪みづうみ越しに海は見ゆ 大屋達治 浜名湖北西の猪鼻湖畔・浜名佐久城址付近からの眺望。浜松市三ケ日の地は、大屋家の本貫。城主だったが、家康に降服、戸田氏銕家臣となる。
「大屋達治集」
自註現代俳句シリーズ一一(六五)
- 十一月十八日
清水寺の迫り上がりたる冬紅葉 石山ヨシエ 清水の舞台に立って辺りを眺めてから元の道へ下る。今度はせり出した舞台を下から見上げた。冬紅葉がどこまでも調和していた。
「石山ヨシエ集」
自註現代俳句シリーズ一二(三七)
- 十一月十七日
十一月の税吏に向くる空気銃 斎藤 玄 なぜ十一月なのか分らない。しかし他の月では困るのだ。どうしても十一月でなければならない。十一月の税吏、十一月の空気銃で満足した。
「斎藤 玄集」
自註現代俳句シリーズ二(一六)
- 十一月十六日
真鰈をきれいに食べて時雨れけり 福井隆子 お魚をきれいに食べられた時はとても気持がいい。鰈の白い背骨がすらりと残ったお皿が急に翳った。
「福井隆子集」
自註現代俳句シリーズ九(四九)
- 十一月十五日
合わす手の小さくずれて七五三 今瀬一博 「神様に二回礼!」、「二回手を打ちます」。親を見上げて真似をする。「手を合わせて神様にお願い事」。合わせた小さな手が少しずれていた。
今瀬一博 句集『誤差』
- 十一月十四日
一雨後の階の親しさ枯るる中 岡本 眸 十一月、真間山弘法寺で俳人協会吟行会。前夜の雨も晴れて爽やかな日和、盛会であった。
「岡本 眸集」
自註現代俳句シリーズ二(一〇)
- 十一月十三日
葛城の時雨に濡れし言葉かな 細川加賀 鶴関西支部鍛練会での作。坂道の先頭を行くのはいつも友二先生。この句、ひと口で言えば旅の感傷。
「細川加賀集」
自註現代俳句シリーズ三(三一)
- 十一月十二日
一の酉一途な雨に流されし 大牧 広 酉の市はなぜか雨が多い。しかも本気になって降る。それでも大森の鷲神社はアーケードでだいぶ助かっている。露店の灯も印象深い。
「大牧 広集」
自註現代俳句シリーズ六(五一)
- 十一月十一日
小春波ゆつたり海も呼吸して 田所節子 穏やかな小春の日の海。波もなく静かな海、ゆったりとうねりが寄せる、海の穏やかな息遣い。
「田所節子集」
自註現代俳句シリーズ一二(三一)
- 十一月十日
大綿の一つが三つにやがて消ゆ 岸田稚魚 この虫、晩秋より初冬にかけて出づ。小さき綿のごときを負ひて飛べり。はかなくもあはれなり。
「岸田稚魚集」
自註現代俳句シリーズ・続編三
- 十一月九日
老杉を楯とし庵冬に入る 舘岡沙緻 有志による吟行会で出雲崎その他を巡る。勉強になった。
「舘岡沙緻集」
自註現代俳句シリーズ七(一二)
- 十一月八日
ひらかれて旧約聖書冬に入る 長谷川双魚 創世記第一章に、「始に神天地を創り給へり。地は形なくしてむなしく、闇淵の面にあり。神光あれと言ひ給ひければ光ありき」とある。読むたびに心がひらかれる。
「長谷川双魚集」
自註現代俳句シリーズ三(二五)
- 十一月七日立冬
一の酉過ぎて蕎麦湯の淡き味 吉田鴻司 一の酉が来ると、何か慌ただしくなる気になる。知らぬうちに一の酉も過ぎてしまった。蕎麦湯を淡味と感じる年齢になったのであろう。
「吉田鴻司集」
自註現代俳句シリーズ三(三九)
- 十一月六日
ゆく秋の淋代の浜果て見えず 藤田直子 東奥日報の方に車で淋代の浜に連れて行っていただいた。砂浜が美しく、果てしなく続いていた。
「藤田直子集」
自註現代俳句シリーズ一二(三四)
- 十一月五日
ときをりに火の裏返る秋仕舞 古賀雪江 明日香の秋仕舞の様を見ていた。時々に火が裏返りつつ暮れ切るまで燻っていた。
「古賀雪江集」
自註現代俳句シリーズ一二(一三)
- 十一月四日
やすんじて牡蠣の十一月迎ふ 石川桂郎 十七字の文芸であることを忘れてしまうほどすらりとした坐臥の句。文化の日、作者に招待されて私と甥は、後楽園球場でメッツ対オール日本の親善野球を観戦している。九対ゼロでオール日本が敗れたことまで覚えているのは、作者の平常心に裹まれていたからである。(手塚美佐)
「石川桂郎集」 脚註名句シリーズ一(三)
- 十一月三日
そこ詰めていただけますか文化の日 村上喜代子 物は言いよう。「詰めていただけますか」と頼めば快くちょっとずつ詰めてくださる。口語をそのまま句に生かしてみた。
「村上喜代子集」
自註現代俳句シリーズ一一(四二)
- 十一月二日
湯を落す音のかすかに十三夜 西宮 舞 日はとっぷりと暮れて静かな十三夜。十五夜とは違う秋の深まり。
「西宮 舞集」
自註現代俳句シリーズ一三(二五)
- 十一月一日
わが前を馬過ぐ秋の逝くごとく 奥坂まや 秋の姿を描くとしたら、やはり身が引き締まっていて、駿足で、靡くたてがみも持っていないと困る。どうしても馬の姿となる。
「奥坂まや集」
自註現代俳句シリーズ一三(三〇)
- 十月三十一日
とり替へて菊人形の背すぢ立つ 伊藤敬子 菊人形は衣を着せ替えられた。よれよれの衣を着せておくわけにはいかない。菊衣をとり替えたら、なんと背すじまでぴんと通った。
「伊藤敬子集」
自註現代俳句シリーズ五(五)
- 十月三十日
洗濯の妻も紅葉の明るさに 栗原憲司 裏庭に紅葉の木があり、井戸がその近くにある。洗濯物の干し場はそこにあるので、紅葉の紅が映えるのである。
「栗原憲司集」
自註現代俳句シリーズ一三(三四)
- 十月二十九日
月光をのぼるものあり萩刈られ 神蔵 器 子供が頂いて来た宮城野萩が、大きな株になり毎年見事な花をつける。萩が刈られてしまうと我が家の庭は冬に入る。
「神蔵 器集」
自註現代俳句シリーズ四(一九)
- 十月二十八日
一匙の栗金色に離乳食 都筑智子 粉ミルクより食物を喜ぶ。栗を牛乳で溶いて匙に乗せたら食べた。嫌になると首を振る。嫌な時に首を振るのを自然に知っているのは何故だろう。
「都筑智子集」
自註現代俳句シリーズ七(四五)
- 十月二十七日
烏瓜どの蔓となくみな躍る 堀 磯路 たくさんの烏瓜が真っ赤に色づいている。一本の蔓を引くと皆が小躍りした。日和がよくて機嫌のよい烏瓜である。
「堀 磯路集」
自註現代俳句シリーズ五(五二)
- 十月二十六日
行秋や鹿もするなる雨宿り 京極杜藻 旧友等と奈良一泊、翌日番傘を列ねて境内を経めぐる。そぼ濡れた鹿たちの中に、大杉の幹の下に寄り添う幾組かを見て、行秋のうそ寒さを感じた。
「京極杜藻集」
自註現代俳句シリーズ三(一二)
- 十月二十五日
おてのくぼ吹きつつ種を採りにけり 土山紫牛 庭の草花が終って種を採っておこうと、その花をてのひらでほぐして、花びらや絮を吹いた。美しい種が掌のくぼに溜ったのを大切に紙に包んだ。
「土山紫牛集」
自註現代俳句シリーズ四(三四)
- 十月二十四日
木こり木の匂ひをひざにむかご飯 桜井青路 山肌に座って弁当をひらく。むかご飯である。今伐った檜の匂いが山の空気にひろがった。昔はわっぱの弁当だった。郷里に句碑となる。
「桜井青路集」
自註現代俳句シリーズ八(三二)
- 十月二十三日霜降
国戦ふ発矢々々と鵙高音 河野静雲 国を挙げて戦へ戦への時代、平和なるべき国と国との国交も破れ、その事を淋し悲しと思われてのこの一句である。「国戦ふ」の上五には師の戦への悲しみが織り込まれている。今日来て鳴く庭前の鵙の高啼き。発矢発矢のかさね措辞にある師の戦争無常観。
「河野静雲集」 脚註名句シリーズ一(七)
