今日の一句
- 九月十九日
台風の雲押しきたる子規忌かな 長谷川耿子 子規忌は九月十九日。丁度その日は台風の北進する日に当り、黒雲が押しきたるという感じだった。
「長谷川耿子集」
自註現代俳句シリーズ七(二四)
- 九月十八日
南瓜忌に早き南瓜の花黄なる 福原十王 南瓜忌は石井露月の忌、九月十八日。露月は秋田県に生まれ、子規門。後、帰郷して医師となる。日本派四天王の一人。昭和三年五十六歳で病没。
「福原十王集」
自註現代俳句シリーズ四(四二)
- 九月十七日
鳳作忌のどに冷きハイボール 高島筍雄 篠原鳳作の忌は九月十七日。この日、大聖寺駅前で、ひとりハイボールをのむ。
「高島筍雄集」
自註現代俳句シリーズ四(三〇)
- 九月十六日
山車につく婆前垂れに梨包み 菖蒲あや 九月十五、十六日が氏神様の祭礼日で、孫の曳く山車にはお婆さんが寄り添うように蹤いていた。前垂れには子供たちに配られた梨があった。
「菖蒲あや集」
自註現代俳句シリーズ二(一九)
- 九月十五日
梅干飴ころんころんと敬老日 角川照子 毎年敬老日に、町内会から母に贈られる罐入りの梅干飴。敬老日にウメボシ、とは皮肉にもとれる。母は八十三歳。
「角川照子集」
自註現代俳句シリーズ五(一三)
- 九月十四日
湖国より雨の近づく葉鶏頭 吉田鴻司 鶏頭に対して葉がとくに美しく、八、九月頃に緑色だった葉が深紅、黄色、紫色などに鮮やかに色づき、斑入りも多く美しい。いま琵琶湖より雨が近づきつつある。そのためか、色とりどりの葉が燃えたつようにいっそう鮮やかであった。
「吉田鴻司集」 脚註名句シリーズ二(一六)
- 九月十三日
サフランのうすむらさきの服喪かな 藤本美和子 令和元年九月十三日、母逝去。昭和元年生れの九十三歳だった。庭の片隅に毎年花を見せてくれるサフランに紫が好きだった母を思った。
藤本美和子 令和元年作(『冬泉』所収189ページ)
- 九月十二日
偏差値を見る秋の夜の虫眼鏡 三嶋隆英 長男の高校時代か。偏差値などというものが横行して、非難を浴びながらもそれを無視出来ない現実。重い気持で週刊誌などに出ている数値を見る。
「三嶋隆英集」
自註現代俳句シリーズ八(四二)
- 九月十一日
吹かるるに芒やさしく芦荒く 下村梅子 芒は風の吹くままに靡くが、芦はそうは行かない。まるで抵抗するかのように全身で搖れる。わずかに花がなびくのである。
「下村梅子集」
自註現代俳句シリーズ二(一八)
- 九月十日
鰯雲澄み父として子を寝かせてゐる 晝間槐秋 同時作に〈病んで遠くを見ない子に鰯雲〉。三男の積(つもる)が、父親の結核性を受けたか、眼を病んで、それを背負った祖母の通院する姿も。
「晝間槐秋集」
自註現代俳句シリーズ五(五〇)
- 九月九日
尖塔の不死鳥翔む大野分 山田孝子 憧れの碌山美術館へも。
「山田孝子集」
自註現代俳句シリーズ八(三九)
- 九月八日
みみなりは生きゐる証曼珠沙華 高﨑公久 ある年齢になると急に耳鳴りを覚える。私は何歳からか覚えていないが難聴になった。困ったものである。
「高﨑公久集」
自註現代俳句シリーズ一三(三二)
- 九月七日白露
ぬかみそに手入れ颱風の進路きく きくちつねこ 母は糠床を上手に管理していた。毎晩台所の仕事が終ると、明日のために胡瓜や茄子を入れた。私も手伝うときがあったので、こんな句も出来た。
「きくちつねこ集」
自註現代俳句シリーズ三(一一)
- 九月六日
井戸水を濁し台風去りにけり 藤本安騎生 村の水道が前まで来ているが、わが家は井戸水一本である。高見山から出て来る清浄な水である。高見山頂の神を瀬織律比売と申し上げる。
「藤本安騎生集」
自註現代俳句シリーズ八(一六)
- 九月五日
黍風や一茶も憩ひし土蔵裏 雨宮昌吉 湯田中の全国大会での作品。一茶旧居にこごみ込んで、黍畑からの涼風に憩い一茶存命の往時を偲んだ。「枝蛙親し一茶は情の人」もその時の句。
「雨宮昌吉集」
自註現代俳句シリーズ四(三)
- 九月四日
林出てすぐ萩隠る密猟者 林 翔 箱根仙石原所見。まだ猟期が来ていないのに猟銃を持つ男を見た。急ぎ足で萩叢のかげに消えたのも密猟だからであろうか。
「林 翔集」
自註現代俳句シリーズ三(二六)
- 九月三日
憚らず食ひ水蜜桃甘し 樋笠 文 水も滴るような水蜜桃は、丸ごと食べるに限る。ナイフを用い、恐る恐る剝いて食べるのは、性に合わない。
「樋笠 文集」
自註現代俳句シリーズ四(四〇)
- 九月二日
美しく老い男郎花をみなへし 小林輝子 木を伐ると翌年はその斜面に男郎花が沢山咲き出す。だが女郎花の咲く野原がめっきり少なくなってしまった。しきりと老いを考える。
「小林輝子集」
自註現代俳句シリーズ九(二二)
- 九月一日
稲妻の夜毎に険し葛みだれ 千代田葛彦 傍若無人、旺盛な繁殖力を見せた葛も、ようやく衰えと乱れを見せはじめる。夜毎の稲妻がそれを促しているのだ。
「千代田葛彦集」
自註現代俳句シリーズ二(二五)
- 八月三十一日
残り蟬いくばく橘中佐の忌 本宮鼎三 日露戦争で戦死した旧静岡聯隊の墓地が私の家の近くにある。ここに不死男先生を案内したとき、「君の句の世界だ、大切に......」といわれた。
「本宮鼎三集」
自註現代俳句シリーズ六(一)
- 八月三十日
露の世へ生きの身赤く風呂上がる 伊藤白潮 やや身ぶりが多い句。もっと句の贅肉を削らねばと思うのだが。ともかく風呂好きな私である。
「伊藤白潮集」
自註現代俳句シリーズ五(六一)
- 八月二十九日
寝巻の子七夕竹に出て遊ぶ 清崎敏郎 朝起きた寝巻のままの子が七夕飾りを見にゆく。あるいは寝る前にもう一度見にゆく様子である。七夕飾りに目を輝かせ嬉しそうにしている子供が目に浮かぶ。七夕行事にはしゃぐ子供を具体的な言葉で捉えた確かな写生の句。(稲荷島人)
「清崎敏郎集」 脚註名句シリーズ二(二)
- 八月二十八日
英雄の雄叫び吸はれ星月夜 江口井子 ギリシャ文学の川島重成先生の案内で、エウリピデスの悲劇『狂えるヘラクレス』を観る。古代劇場は満天の星の下。
「江口井子集」
自註現代俳句シリーズ一一(二八)
- 八月二十七日
能登遠き灯のまぎれつつ天の川 原 柯城 立山。澄みきった夜空に広がる天の川。その裾はるか、やや黄をおびて、星とともにまたたくのは能登の灯らしい。ふけてしげくなるまたたき。
「原 柯城集」
自註現代俳句シリーズ六(三九)
- 八月二十六日
わが影のとうに先ゆく秋の風 佐藤麻績 秋風の句は多いが好きな自作と言えそうだ。
「佐藤麻績集」
自註現代俳句シリーズ一二(二五)
- 八月二十五日
銀漢や函を得しかに嬰の眠り 神尾久美子 路地の午下り、隣家の母衣蚊帳に透くようにねむっていた嬰児。そのまま美しい星夜になれと。
「神尾久美子集」
自註現代俳句シリーズ四(一八)
- 八月二十四日
流星も入れてドロップ缶に蓋 今井 聖 今井 聖 句集『バーベルに月乗せて』
(2007年刊)2006年の作
- 八月二十三日処暑
水引の紅にふれても露けしや 山口青邨 大学を定年退職後、生活習慣も変り落着きをとり戻して庭に降り立つ。どこかの吟行地から掘って来たのか、移し植えた水引草がよく根づき茂り、初秋の朝露にびっしり濡れ、赤い色が目立っているさまを感激して見ている姿がありありとしのばれます。(いそ子)
「山口青邨集」 脚註名句シリーズ一(二〇)
- 八月二十二日
水没ときまり溝萩枯れつくす 井上 雪 未発表五十句で「角川俳句賞」次点になった〝水没する村〟のなかの一句。以下十二句、白山麓五ヶ村の水没を詠む。
「井上 雪集」
自註現代俳句シリーズ五(三六)
- 八月二十一日
ひぐらしや塗り重ねゆく輪島椀 大島民郎 能登へ吟行。「短夜や雪止のせし能登瓦」という句も作ったが、その屋根の下で気が遠くなるほど何回も塗り直す輪島塗の丹念さに瞠目した。
「大島民郎集」
自註現代俳句シリーズ三(七)