今日の一句
- 十二月十六日
空澄むをうべなうて野の枯れゆけり 松村蒼石 冬もなかば十二月中旬、街は歳末気分が漲る頃好晴の大空はいよいよ澄みにすみ底知れぬ深さを見せる。野もまた人もなげに枯れてゆく。
「松村蒼石集」
自註現代俳句シリーズ二(三七)
- 十二月十五日
義士祭ことしは遠き旅に出でず 石田小坡 国語科を中心とした機関紙「花鳥会報」が滝山・樋田両教諭の尽力によって刊行された。泉岳寺や有栖川公園等が吟行地だった。
「石田小坡集」
自註現代俳句シリーズ六(五二)
- 十二月十四日
裏藪にひよどりを溜め義央忌 小笠原和男 「義央忌」は吉良上野介義央公の忌日。毎年十二月十四日に、華蔵寺で盛大に法要が行われる。「忠臣蔵」は今も御法度。
「小笠原和男集」
自註現代俳句シリーズ六(二六)
- 十二月十三日
抱けば白菜生きものの声を出す 神原栄二 白菜を買って抱えようとする瞬間、「きゆっ」と鳴った。生あるものの歓喜と受けとめた。
「神原栄二集」
自註現代俳句シリーズ六(二八)
- 十二月十二日
風邪重くならむ舗道にはしる罅 岡田貞峰 風邪気味のやり切れない心の投影。
「岡田貞峰集」
自註現代俳句シリーズ四(一四)
- 十二月十一日
山椒太夫の街を露人の毛皮帽 和久田隆子 上越の港にはロシアの船が入港していた。街中をミンクの毛皮帽のロシア人が歩いていた。
「和久田隆子集」
自註現代俳句シリーズ一〇(二四)
- 十二月十日
大根焚あつあつの口とがりけり 草間時彦 この年の十二月十日鳴滝了徳寺で催された大根焚の行事に何人か連れ立って行った折の数句の中の一句。婆世界という句もある。若い人が少ないのかも。大勢の人々が湯気の中でフウフウ言いながら大鍋を囲みつつの風景だったのだろう。冬日の中で。(山田みづえ)
「草間時彦集」 脚註名句シリーズ二(一)
- 十二月九日
人の影みな円錐に夜の焚火 土生重次 焚火の逆光に引く影は、人を奇怪な生き物のようにしてしまう。
「土生重次集」
自註現代俳句シリーズ六(三七)
- 十二月八日
北風を軽しと思ふ日暮れけり 今井杏太郎 人は、いろいろに吹く風に、さまざまな名をつけては楽しんでいる。俳人協会新人賞を受賞した岡本高明さんなども、その一人であろう。
「今井杏太郎集」
自註現代俳句シリーズ六(四六)
- 十二月七日大寒
魂にかしづく如くマスクして 佐藤麻績 マスクをすると自分の内側へと心が働く、そして魂そのものに従いたいと思う。
「佐藤麻績集」
自註現代俳句シリーズ一二(二五)
- 十二月六日
竹の主河童百図のちやんちやんこ 椎橋清翠 鶴川村能ヶ谷の石川桂郎居を初めて訪ねた折りの作。「晩稲稲架解きゐる鶴川村に入る」も同作。
「椎橋清翠集」
自註現代俳句シリーズ七(三六)
- 十二月五日
- ふところ手してものみなに負けてゐぬ
大竹きみ江 自分の無力さを思い知って却てさっぱりした。手足を引っ込めた亀の子姿のふところ手の私。
「大竹きみ江集」
自註現代俳句シリーズ三(八)
- 十二月四日
鶴守の背筋正して古稀となる 上野 燎 八代には毎冬行き、鶴を見、弘中氏と話をする。眉の白くなったこの人は「もう古稀です」と笑った。
「上野 燎集」
自註現代俳句シリーズ九(二一)
- 十二月三日
天に舞ふもの絶えてなき落葉以後 篠田悌二郎 欅も銀杏も、澄み切った空に聳えて、休息に入っている。もう蝶も来ないし、鳥も来ない。
「篠田悌二郎集」
自註現代俳句シリーズ一(一七)
- 十二月二日
岩鼻に冬白浪の平手打ち 山田みづえ 小気味いい浪の平手打ち。岩鼻はもちろん鼻白むのだった。
「山田みづえ集」
自註現代俳句シリーズ・続編一五
- 十二月一日
蒼天に山芋の枯れすすむなり 伊藤いと子 日常見馴れているものでも俳句に親しむまでは気付かぬことが多い。この句もそうしたもののひとつである。枯れの美しさを初めて認識した作。
「伊藤いと子集」
自註現代俳句シリーズ一〇(三二)
- 十一月三十日
山晴れの十一月を口すすぐ 伊藤白潮 十一月は別名霜月といわれるように、冬のおとずれの月。空気が澄んで視界が効き、どこか哲学的な季節の香りに満たされる月。
「伊藤白潮集」
自註現代俳句シリーズ五(六一)
- 十一月二十九日
人の逝く冬の川幅見てゐたり 佐藤安憲 「冬の川幅」に「人の一生」を思った。
「佐藤安憲集」
自註現代俳句シリーズ一三(二四)
- 十一月二十八日
翁忌や「寿貞不仕合せ者」とのみ 有働 亨 芭蕉書簡集を読む必要があった。元祿七年、尼寿貞の死を聞いて猪兵衛へ宛てた書簡の一節の簡潔さに惹かれた。却って芭蕉の悲愁が溢れていた。
「有働 亨集」
自註現代俳句シリーズ四(一二)
- 十一月二十七日
引綱の泛びて遠し蓮根掘 染谷秀雄 JR木更津駅傍にある大きな蓮田。蓮根掘りの最中。船を浮かせ蓮を掘っては載せる。畦まで遠く伸びた蓮根を積んだ舟の引綱が泛かんでいる。
「染谷秀雄集」
自註現代俳句シリーズ一三(三八)
- 十一月二十六日
穭田は枯れ急ぎをり低き風 南うみを 風が地を擦るようになると、穭は日ごとに枯れ色になる。
「南うみを集」
自註現代俳句シリーズ一二(五)
- 十一月二十五日
きれぎれの冬のひかりが蛇口より 仲村青彦 人のいない公園の水道の蛇口。用もなく近寄って蛇口をひねった。
「仲村青彦集」
自註現代俳句シリーズ一一(五八)
- 十一月二十四日
猫車大根積んでよろめけり 高橋悦男 どんな細い道でも通れる猫車は農作業には欠かせない。しかし大根のような重いものを運ぶと一輪車なのでよろよろする。
「高橋悦男集」
自註現代俳句シリーズ一一(三五)
- 十一月二十三日
筆を持つ右手に勤労感謝の日 本宮鼎三 一日に筆(ペン・鉛筆など含めて......)を持つ時間が私には多い。若いときは「ガリ版」の鉄筆まで持った。右手よありがとう。
「本宮鼎三集」
脚註名句シリーズ六(一)
- 十一月二十二日小雪
冬暖かチェロ坐る亡き父の椅子 伊藤トキノ 地方公務員だった父の書斎の椅子にいつも坐っていたチェロ。父の後姿によく似ている。
「伊藤トキノ集」
自註現代俳句シリーズ七(二三)
- 十一月二十一日
波郷忌へ陶の光の柿を剝く 渡邊千枝子 柿には香りがないという私に波郷先生は「陶器のような肌ざわりがある」といわれた。その言葉が頭を放れず、今では柿が好きになってしまった。
「渡邊千枝子集」
自註現代俳句シリーズ八(三)
- 十一月二十日
妻来たる一泊二日石蕗の花 小川軽舟 会社勤めで単身赴任を始めた頃の一句。子供の世話のかたわら、妻が旅行鞄を提げて訪ねて来た。私にとってはなつかしい一コマである。
小川軽舟 句集『朝晩』 二〇一二年作
- 十一月十九日
小春凪みづうみ越しに海は見ゆ 大屋達治 浜名湖北西の猪鼻湖畔・浜名佐久城址付近からの眺望。浜松市三ケ日の地は、大屋家の本貫。城主だったが、家康に降服、戸田氏銕家臣となる。
「大屋達治集」
自註現代俳句シリーズ一一(六五)
- 十一月十八日
清水寺の迫り上がりたる冬紅葉 石山ヨシエ 清水の舞台に立って辺りを眺めてから元の道へ下る。今度はせり出した舞台を下から見上げた。冬紅葉がどこまでも調和していた。
「石山ヨシエ集」
自註現代俳句シリーズ一二(三七)
- 十一月十七日
十一月の税吏に向くる空気銃 斎藤 玄 なぜ十一月なのか分らない。しかし他の月では困るのだ。どうしても十一月でなければならない。十一月の税吏、十一月の空気銃で満足した。
「斎藤 玄集」
自註現代俳句シリーズ二(一六)
